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CIRCLE OF DAYZ vol.4 Setsumasa Kobayashi Part 2

「DAYZ」と結びつきの強い人物や「DAYZ」が心惹かれる人物についてじっくり深掘りしていく「CIRCLE OF DAYZ」。後半は、〈.....RESEARCH〉のブランドディレクター、小林節正が語る昔と今とこれから。

ただただバカなことをやっていた

——東京に何を考え、何を思いますか。

子供の頃は東京と言っても、身の周りの環境だけでしょ? でも、言葉として東京って聞くと、複雑に絡み合いながらも、場所場所で厚みが違うジグゾーパズルみたいな感じがする。あるところは分厚かったり、またあるところは薄かったり。俺が子どもの頃の浅草が持っていた隔絶された感じとはもう別物だよね。こないだ久々に浅草に行ってみたんだけど、あの当時周りは工場ばかりだったのに、いまはもう全然ないのね。町からトントントンって靴を叩く音もいっさい聞こえないし、もう違う時代になったんだなって。東京についての話を聞かれると、そういう景色をよく思い出す。そこに戻りたいとは思わないんだけども、こんなふうに昔を振り返る中でなにかを思い出してはまた新しいものを見つけなきゃいけないっては思っているかな。

——今回の企画は、ただ単純に昔のものを掘り起こして懐かしもうということではなく、現代版として作り直してみたら面白いんじゃないかという話から生まれましたよね。

「思い入れの強いものをもう一度」というお題に対して、記憶の引き出しの奥から引っ張り出したのが、今回のフォトTだった。モチーフになっているのは、ガスコンロ、掃除機、マットレス、部屋の壁といった普通に身のまわりにあるものばかり。オーディナリーな家庭ならでは風景を喚起させるべく、わざとアノニマスなデザインのものばかりを選んだんだけど、前者の二つは居住空間、後者二つはデイリーなホラーといった感じ。1998年の制作時のことを思い起こしてみると、小道具を集めてきたり、恵比寿のスタジオでセットを作ったり、プロに撮影をしてもらったりしてさ。Tシャツのネタとして使うだけなのに、最大の労力をつぎ込んで、たくさんのお金と時間をかけて作ったものだったなって。制作に尽力を尽くしてくれたカメラマンは安部ちゃんこと安部英知さん。それなりの苦労の末に出来上がったものだから、もちろん思い入れは存分だけど、今思い返してみるとただただバカなことをやっていたなという(笑)。と同時に、たかがTシャツ一枚に対しての極端な軸足の置き方みたいなものを、今のヒトたちに改めて見てもらえたらなとは思ってます。だから、今回に関しては、ピスネームに始まり、おなじみの赤リボン、そして真空パックのパッケージに至るまで、当時のものをほぼいじらずに完全な状態で復刻してある。サイズを変更したハンカチと、当時は存在しなかったマグネットシートは本復刻の副産物、あるいは写真オリエンテッドのガジェットとしてTシャツと並べて楽しんでもらえたら嬉しいかな。こんな素敵なプロジェクトに声をかけてくれて、実現までさせてくれたことに感謝です。

続けさえすれば、それなりにでも続いていく

——〈.....RESEARCH〉の話とこれからの話を聞かせてください。

〈GENERAL RESEARCH〉を終わらせて〈MOUNTAIN RESEARCH〉を皮切りに始まる〈.....RESEARCH〉というやり方に移行しようとしてた頃、ブランドが所有する権利っていうものについて考えることが多かったんだ。〈GENERAL RESEARCH〉では権利、つまり商標は取っちゃってたんだけど、こんりんざい名前の登録も要らなけりゃ権利を主張する必要もないってふうにはどうしたらなれるんだろう、そういうふうになるためにはどうしたらいいんだろうって。山暮らしの服だったらMOUNTAIN、海軍の服だったらNAVAL、囚人服だったらPRISONER SUIT、バイクならRIDING EQUIPMENT、ハンティングならHUNTING JACKETって具合にね。ちなみにコレ、全部〈.....RESEARCH〉の初期の頃に使った名前ばかりだけど、こちとら掘り下げたい対象を気のおもむくままにリサーチするだけなんだし、この際、権利の登録うんぬんといった話は抜きにして、一切そういうカタチにはタッチせずに済むよう大きな括りは〈.....RESEARCH〉ということにして、現在に至るやり方を始めた。つまり〈.....〉の部分は好きなタイトルをいつでもつけられるようにブランク、空白にしてあるんだよね。名前の権利に縛りつけられるのが嫌で、いっそのこと名無しでやれないかなとすら考えていたときもあったくらいだったけど(笑)。

〈MOUNTAIN RESEARCH〉を始めるにあたってまず最初に考えたのは、ブランドの背景に具体的な場所を設定すると面白いんだろうなってことだった。場所をはっきり確定させるっていう考え方に盛り上がったんだけど、場所といっても山、それも日本の山ってんだから我ながらスゴイよね(笑)。そこには俺たちみたいに洋服やパンクが好きなのがいて、慣れていない山仕事をおかしな服装でやってるという絵は面白いなって。2005年くらいから何年か具体的な場所を探し歩いて、見つけたのが長野の標高1500mほどに位置する人里から離れた山の中。そこはイトスギやシラカバが北欧っぽい景色とでも表現したらよいのかな。日本なんだけど日本じゃないみたいなボーダレスな景色が広がる場所で、まさに理想とする場所と感じられた。以降〈MOUNTAIN RESEARCH〉ははっきりと長野県川上村という設定にしてある。そこでの暮らし方は自分たちの話の素材にもなったし、洋服をつくる時には頭の中のイメージモデルになるわけじゃん。そうやって山探しで動き出したのが、その昔、〈GENERAL RESEARCH〉を立ち上げて洋服を作り始めた時と同じぐらい面白かったんだよね。それはジョニオ君たちの面白さでもある先生がいないっていうところと似ているような気もするけど、俺たちの山も先生がいない状態で始めちゃったわけじゃん。チェンソーの研ぎ方や薪の割り方なんて、教えてくれる人が近くに誰も居ないから、YouTubeを観ながら、あれどうやってやるんだろうってやっていてた頃から10年の時を経て、先生がいないことの面白さにやっとたどり着いた。そんな風に自由にやっているものだから怪我も増えるんだけど、こういうのが本当に面白いことなんだなってやっとわかったんだよね。〈MOUNTAIN RESEARCH〉なんていう中途半端な名前の付け方で、中途半端な路線を目指したのが〈MOUNTAIN RESEARCH〉だけど、実際問題どのくらい中途半端かと言うと、俺らのは山登りの服じゃないけど、山の服だと今だに言い切ってること!(笑)。

アウトドア業界=山登りの服という世の中に、ずうずうしくもそんなスタンスで居られるのは、自分たちの楽しめる領域がこれまでに提示されてきた領域とはちょっと違う場所にあったからだったと思うんだよね。ある意味、この川沿いに店をつくった話だって一緒。中途半端な山向きの洋服を作りながら十何年か経って、今はキャンプ場作りに携わってるけど、これまた一般的なキャンプ場とは全然違うことになっちゃってる(笑)。結果そうなっちゃっただけなんだけどね。自分のやり方でなんとなく店も出すし、山向けの服もつくるし、キャンプ場も作ったわけだけど、いいかどうかがわかんないから続けるしかないんだよね。そんな状態でも続けば、それはそれでいいんだろうし、続かなかったらなんかやっぱりなにか問題があったってことなんだよ。一生儲かんなくてもいいから長らく続けるっていうことが、自分の中では一番大事。続けさえすれば、それなりにでも続いていくんだから。

Interview & Text : Yu Yamaki
Photo : Yu Inohara

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