CIRCLE OF DAYZ vol.5 Nobuhiko Kitamura
2021.10.13 #FASHION #INTERVIEW
「DAYZ」と結びつきの強い人物や「DAYZ」が心惹かれる人物についてじっくり深掘りしていく「CIRCLE OF DAYZ」。第五回は、〈HYSTERIC GLAMOUR〉北村信彦に訊く、ブランドの黎明期と今の想いについて。
——ファッションの世界に入ったきっかけを教えてください。
音楽、ミュージシャンと出来る仕事がしたかった。中学の時から音楽が好きで一時はミュージシャンにも憧れたんだけど、周りに楽器の上手い連中が何人も居たので、意外と早く挫折して、それからは聴く側に回った(笑)。片っ端から聴いたよ。小遣いにも限度があったから友人のお兄さんからレコードを借りたり、新品だと値段が張ってるから中古のレコード屋を巡ったり。あの頃は情報も少なかったから、数少ない音楽雑誌、ライナーノーツ、ラジオなんかから情報を集めてたね。そのうち、ジャケットのデザインをしているグラフィックアーティストや写真家にも興味を抱くようになって、音楽以外のカルチャーも勉強できた。気がついたら中古レコード屋でジャケットのデザインから音を想像して選んで購入したりしていたね。俗に言うジャケ買いっていうやつ(笑)。そんな中高生時代を過ごしていたから、必然的に専門学校も、当時のレコードマニアの聖地西新宿から一番近い学校を選んでた。どんな勉強するのか詳しく知らずにね。入学してから裁縫道具を渡された時は戸惑ったよ(笑)。 その学校には3年間通ったんだけど、3年目に1年早く卒業した友人からデザインのアルバイトを紹介されて、1デザイン2000円〜3000円。週に10枚から20枚持っていくとそこそこ稼げた。そのほとんどをレコードに費やしたね。それと同時期に別の友人からの紹介でショーの演出会社のアルバイトもやってた。1年間で2−3シーズン、ブランドのデザイナーとの打ち合わせからショー本番まで参加できたことは凄くいい体験になった。モデルや業界の人ともコネクションが持てたしね。ショーシーズン以外はそこに所属しているスタイリストのアシスタントや契約している企業のお店のBGM製作をやってた。会社の経費でレコード買えて、選曲できたことも今思うとラッキーだったよ。そして卒業間近の頃、デザインのアルバイトしていた会社から、新しいブランドを始めようと思ってるんだけどお前やってみないか? って声をかけられて。どうやらバイトで提出したデザインがいくつか売れたみたい。2つのアルバイトの経験から自分の考えが色々と生まれてた時だったから、迷わず飛びついたよ。
——当時のファッション業界をどう思っていたんですか。
その頃は東京コレクションがブームで、若手の新人デザイナーもショーをやってた時。鋭い感性を持って人もいたけれど、中にはなんでこの人がっていう人も何人かいたよ。アルバイトでも新人のデザイナーのショーの手伝いもあったから。みんなパリコレとかに憧れて、毎シーズン違ったテーマでショーをやってた。前回とは違った世界観。半年足らずで完璧な世界観が果たして築けるのか、当時の自分にとっては理解できなかった。音楽やサブカルチャーとかもっと俗なものを追求していくブランドがあってもいいんじゃないかなって思い始めてた時だったね。
——それこそミュージシャンとは全く違うカルチャーですもんね。
まだストリートファッションって言葉もなかった頃だからね。中学時代から勉強してた音楽カルチャーと専門学生時代のバイトの経験から〈HYSTERIC GLAMOUR〉のコンセプトが生まれたんだ。ロックでヴィンテージでポップなブランド。それまでにありそうで無かった世界観をブランドコンセプトにしたんだ。デザインしたアイテムがそれぞれ一人歩きして、何年後かに違った世代の人が古着屋とかで見つけてくれたらいいなって。自分も学生時代、デザイナーズのアイテムより古着屋を巡って、見つけるの好きだったから。そんなブランドになりたいなって思ってた。1984年の6月からスタートして7月の末には1回目の展示会をやった。めちゃくちゃバタバタだったよ(笑)。展示会初日に雑誌『Olive』の編集長の方が来てくれて、「明日出発でパリで撮影を予定してるんだけどサンプルをお借りできない?」って言われて、メインのアイテムを全て貸し出すことになった。だから展示会2日目からはポラロイドカメラで撮った写真を洋服の代わりに並べてね。地方から来たバイヤーからはかなり怒られた。お前舐めてんのか! ってね(笑)。1ヶ月後、雑誌が送られた時、巻頭でメインで使われてた写真を見た時は嬉しかった。怒られたバイヤーの人たちもちゃんと納得してくれたよ(笑)。 その日から営業の電話が鳴りっぱなし。ラッキーだったね。
——当時作ってたアイテムは、今でも作っているんですか?
メインのアイテムは当時から変わってない。その時期その時期で聴いてる音楽の種類とか興味のあるカルチャーに影響してテイストが変わるときがあるけど、基本的には同じ。最近は80〜90年代ブームもあって、柄やアイテムを復刻したりしたよ。特に他社からのコラボの依頼が来た時は、当時の柄を要求されることが多い。5年くらい前からかな、海外の若い世代がうちの当時のヴィンテージを探し始めて、今どんどん広がってるって話を耳にすると、ブランド始めた時に思ってた願いが叶ったんだなって思った。
——こんなに長くやってるとブランドを辞めたいと思ったことはないんですか。
21歳で始めたブランド。23歳から28歳くらいの間はずっと悩んでた。仲のいい友人の何人かがニューヨークやロンドンに移り住み始めて。すごく羨ましかった。ずっとアメリカ、イギリスのカルチャーに憧れてたから。でも、ブランド始めちゃったし。だから、あっちから東京に来ている外人たちと遊んでた。デザイナーやカメラマンを目指してる同年代の奴ら。お金を稼ぎに、モデルで来てた連中。多い時は6人くらいで同居してた。英語の勉強にもなったし、海外とのコネクションも出来た。そのうちの一人が〈GIMME FIVE〉のマイケル・コーペルマン。90年初頭に〈HYSTERIC GLAMOUR UK〉をやるきっかけになったし、同時期の裏原カルチャーに貢献した海外アーティスト達とも出会えることが出来た。それと当時海外から来日して来たバンドとも。プライマルスクリームやソニックユースとか沢山のバンドとも交流ができた。東京でブランドやってたから、それが逆によかったのかもしれないね。
——今の東京、今の世の中をどのような想いで見てますか。
今はSNSもあって世界中の人たちと繋がれる便利な時代。反面疎かになったこともあると思う。音楽も配信が中心で、写真も印刷物からデータ化に移行している。せっかくいい作品を作ってるのに、物として残らないことが多い。僕らが80年代に、60〜70年代を掘っていたように、今の若者が80〜90年代を掘っているように、20年後、30年後の若者が今の時代を掘るときがきっと来る。データだけだともったいない。僕も当時見つけた本やレコードが一番の資料になって、今まで物作り続けてこれたからね。
——今回のDAYZの企画はそういった背景が影響していますか?
ブランドも後数年で40周年。84年からスタートして親子2代で支持してくれるお客さんもいる。年数からしたら東京のブランドでは古株な存在。それとここ1年半以上のコロナ禍で色々と考えた。普段だったら毎晩出歩いて友人たちと情報交換したり、遊んだり。当たり前にできていたことができなくなった。そんなとき、自分が20代だった頃に当たり前のようにやっていたことを思い出した。東京で知り合った友人が帰国した後、当時はSNSなんてなかったから、時間をかけて手紙を書いたりミックステープを作って一緒に送ったり。カセットテープをステッカーやポスカでカスタムしたり。そんな時間を思い出した。コラボが支流のファッション業界。アイテムを作ってSNSで伝達してネットで販売する。そういうこととは、ちょっと違ったことをやりたかったんだよね。初心に戻ってね。宅飲みで溜まった空き瓶とかをカスタムして、ジャンクアート的な作品を友人にDMと一緒に送ったり。少量限定の写真集を製作して、メッセージも加えたり。馬鹿げた作品なんだけど送る人のことを考えて真剣に愛情込めたよ(笑)。それを『LOVE BUZZ PROJECT』って名前をつけてね。コラボも〈HYSTERIC GLAMOUR〉というより、自分自身のプライベート的なインディペンデントなことにチャレンジしてみた。製作している間は楽しかったね。このタイミングでのDAYZからのコラボオファーはラッキーだった。1年半の構想を一つの形にすることができた。ベベタンありがとう!
PROFILE
北村 信彦
1962年東京生まれ。東京モード学園を卒業した1984年、(株)オゾンコミュニティに入社。同年、21歳でHYSTERIC GLAMOURをスタート。10代半ばから猛烈にアディクトするロックミュージックを礎に、ブランド設立当初ロックとファッションの融合をいち早く見出したコレクションを提案。ソニック・ユースやプライマル・スクリーム、パティ・スミス、コートニー・ラブをはじめとして数多なアーティストたちと親交を深める。一方、ポルノグラフィティやコンテンポラリーアートなどにも傾倒、その感性はHYSTERIC GLAMOURの代名詞の1つでもあるTシャツでも表現している。また、テリー・リチャードソンや森山大道、荒木経惟をはじめとする写真作家の作品集を自主制作・出版するなど、現代写真界にも深く携わる。
Web
Interview & Text : Yu Yamaki
Photo : Ryutaro Izaki
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