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DAYZ AFTER TOMORROW vol.1 Yuki Abe

僕たちの東京コミュニティは職業、性別、年齢など関係なく、愛するカルチャーで集まっている。気になる人から気になる人へバトンを繋ぐ、某テレビ番組のオマージュ企画「DAYZ AFTER TOMORROW」。記念すべき第一回目のゲストはHYPEBEAST JAPANの阿部勇紀。小木“Poggy”基史と一緒にやっているYouTubeや業界のキーパーソンが多数登場する彼のInstagramなどで馴染みがある方もいると思うが、ファッションを中心にキーとなる場面には必ず出没する謎の存在を深掘り。

To 阿部勇紀 from 渡辺真史 MESSAGE

どこから来て、何をしてるのかわからない不思議な人というのが第一印象。優しくて、メディアの立場で色んな話をしてくれて、勉強をさせてもらっています。そんな彼がどんな人で何を思っているかを知りたくて、一人目に推薦しました。

To 渡辺真史 from 阿部勇紀 MESSAGE

年始にカニを一緒に食べに行くなど、公私共にいつもお世話になっているべべタン大先輩に推薦いただいて大変恐縮です。特に意識していないのですが、周りから謎がられることが多いので、今回の企画で多少でも自分の人となりが理解してもらえればいいなと期待しております(笑)。

DAYZへ視察に来た小木POGGY基文氏と談笑中。

―――元々ファッションが好きだったんですか。

阿部:ファッションは好きだった方だと思います。興味を持ったのが90年代にスニーカーが流行った時で、当時中学1年くらいでしたね。今振り返るとそれが原点。裏原カルチャーの黎明期ではありましたが、既にだいぶ流行っていた状態で。自分の場合は、当時NBAやスラムダンクがすごく好きで、バッシュからスニーカー全般、その後にファッションにという順序で興味が移っていったと思います。高校生の頃はいわゆる普通の学生だったと思いますが、今では黄金期と呼ばれる時のヒップホップやミックスチャーロックとかが好きで、周りの友人もそういう音楽を聴いてる人たちが多かった気がします。意外に思われることも多いのですが、自分でもずっとヒップホップをやっていて、何がルーツかと聞かれると音楽は外せません。

―――その流れで高校卒業後に音楽の道に行かれたんですか?

阿部:いえ、都内の4年制大学に行ったんです。音楽を始めたのは、高校の後半ぐらいですが、ちょうどその頃って「宅録」っていうワードがよく聞かれるようになり始めてて。

―――「宅録」ってなんですか。

阿部:自宅でレコーディングすることなのですが、それまでは音楽を録音するにはスタジオに行かないといけなかったり、ハードルが高かったんですね。それがソフトウェアの進化などで家でもできるようになって、パソコンで音楽を作るのが一般的になってきた時代でした。今では普通のことですが、当時はそれが画期的で。あとは楽器ができなくても、歌が歌えなくても音楽をやれるっていうヒップホップの手法や精神性に惹かれました。なんかとりあえず色んなものをやってみたいというか、若者特有の欲求あるじゃないですか。それが自分の場合は音楽だったんですよね。とはいえ、それ1本で食べていくのは難しいので、卒業してからは普通に就職しました。

―――全然イメージつかないですね。

阿部:僕がアルバムを作っていた時代はCDとかレコードがまだギリギリ売れていたんですが、それがテクノロジーの進化で、わかりやすくお金を稼げるフィジカルが年々売れなくなっていって。インディーズでやっている人にとっては、もう失業レベルでしたね。ライブもそんなに頻繁にはやれないし。

―――CDを作って売っていたんですね。

阿部:はい。アルバムは5〜6枚はリリースしてるんじゃないかな。うろ覚えですが(笑)。大学の時に休学してオーストラリアのメルボルンに留学していて、その頃から音楽を真剣にやるようになりました。現地で仲良くなった親友がアメリカのレーベルと契約していて、彼らのツアーとかに一緒に行って前座をやったり、地元のメルボルンでは週2回ぐらいは小さいクラブやライブハウスでライブしてましたね。そこから帰国して、ソロで活動してましたが、なぜか海外で受けることが多かったので、アメリカはよく行ってましたし、自分もアメリカのインディーズレーベルからアルバム出してましたね。多分、僕がアメリカでツアーした最初の日本人ラッパーだったと思います(笑)。あとはヨーロッパツアーも3回くらいやりましたかね。フランスを中心にドイツ、スイス、スペインとか。でも結構忘れちゃいました(笑)。もう10年以上も前の話なので。もちろん大した規模じゃないですよ。音源は今でも普通にSportifyとかで聴けるんですが(笑)。

―――プロとしてやっていたってことですか。

阿部:本当にプロの人たちが周りにいるので、自分をプロと呼ぶのはおこがましいですが、キャリアとしては10年ぐらいで、一番売れたシングルで確かオリコン18位とか、そんなレベルです(笑)。途中でIT企業とかで働いていた時期もあったんですけど、その間も音楽はずるずるとやっていたというか、結構色んな人とコラボみたいな形でやっていたので、プロジェクトが全部終わったタイミングで辞めたって感じですね。

―――やることが全部終わって辞めたというか、終わったっていう感じが近いんですかね。

阿部:そうですね、盛大に引退宣言するわけでもないですし、興味がなくなったというか、やりたいことはやったんで、それ以上はモチベーションがないな、と思って。未練はゼロではないですが、音楽を始めた時にあった夢も叶えましたし、自分にしてはよくやった方だと思うようにしています。

―――結構若い頃はタフな経験というか、肝据わった経験をしてたってことですよね。

阿部:客観的には結構変な人ですよね(笑)。30手前くらいまでは音楽を真剣にやってたので、それが消えた時にどうしようかなと色々考えたし、試したりもしました。それでわかったのが、文章書くのが好きということでした。リリックを書いていた経験が今でも生きているみたいな感じかもしれないですね。あとはバスケ好きがこうじてNBAの公式サイトのコラム書いてた時期もありました。

―――ファッションの世界に入るタイミングはいつだったんですか?

阿部:アメリカの某ファッション媒体の日本での立ち上げを手伝ったり、Hypebeastも最初はコントリビューターみたいな感じで週に何本か記事を書くのを副業的にやってたんですけど、どっかのタイミングで「フルタイムでやってみませんか?」みたいな話になって。3〜4年ぐらいは迷走してた気もしますが、紆余曲折しながら今がありますね。最初からファッション業界やメディアにいたらどうなっていたんだろうとたまに考えます。それはそれで大変だっただろうし、外野から入ったから良かった部分もあったのかもしれない。

―――SNSが発達して、無限に情報がある。今のメディアの在り方ってなんですか。

阿部:誤解されるような言い方かもしれませんが、正直、今はメディアの時代じゃないって僕は思っています。SNSで発信された情報をメディアが拾って、それを再発信してるような状況だったりするので。そういう意味では、我々の存在価値の1つはキュレーションかなと思っています。読んでいる人たちに向けて、有益というか本当に知るべき情報を出すこと。10個あったら盲目的にそれらを全部なぞるのではなく、中身を見極めて絞る審美眼が必要かなと。あとは新しいジェネレーションを後押ししたいっていうのは常々思っています。Hypebeastの原点の1つはそこだと思いますし、自分もそういう部分に魅力を感じて入っています。なので、そこを失うと、媒体の存在意義が薄れちゃうような気がしています。とはいえ、何でもかんでも新しいものに飛びついていると、さっきの話と矛盾してくるので、そこは少し慎重になる必要はあるかと思います。ミーハーであって、ミーハーでないみたいな。

HYPEGOLFに関わる、笹川陽介氏と去年代官山にオープンした店舗にて。

―――やっぱりHypeなものが好きなイメージが強いです。仕事がそうだからかも知れませんが、新しい物好きってキャラクターの認識はあります。

阿部:新しい物好きだとは思います。でも、新しいから好きなんじゃなくて、それを見つける楽しさだったり、新しいムーブメントがワクワクするというか。でも、若い頃の方がもっとそういう傾向だったなと思います。歳をとってくると新しいものに否定的じゃないですけど、知識も蓄積されて判断基準も厳しくなるというか、肯定するためのハードルが上がった気がします。たまに歳とったなって感じますね。前はこういうブランドも好きだったのにな…って(笑)。今だと手放しで好きとは言えなくなってしまいました。

―――年齢とともにインプットが増えることで価値観が変化するのは当然のことですよね。ご自身をハイプビーストだと思ってないんですか。

阿部:外側にいた時の方がそうだったと思います。ただド真ん中に入ってからは、そういうものを見過ぎちゃって、感覚が麻痺しているというか、吸収しすぎて消化しきれなくなっているのかもしれません。もちろん、ビジネスであり、人間関係含めて楽しい世界で、普通の人が経験できないことを経験させてもらっていると思います。ファッションでいえば、デザイン云々ももちろん大切ですが、それよりもバックボーンが重要というか、例えばスケーターじゃない人がスケートぽいブランドをやっても説得力がないですよね。SupremeにしろPalaceにしろ、あれだけ商業的に成功しても、自分たちのリアルな根っこに忠実である意思は少なくとも感じますし。もちろん他文化を拝借することもあるとは思いますが、最低限の敬意は必要だと思います。カルチャーを食い物にしているだけの場合って、見る人が見ればすぐわかりますからね。だからこそ、できる限り向き合って本物をサポートできるようにしたいですし、多少は影響力があるメディアとしては、読んでくれた人たちには摂るべき栄養を与えたい。要らない栄養で太って欲しくないというか。

―――カルチャーがあるからこそ、共通言語として成り立っているっていうのはありますよね。やっぱりストリートへの愛っていうのは強いですね。現場にいたわけでもないじゃないですか。領域にはいても。愛が深いのは何故ですか?

阿部:ストリート出身と言うつもりは毛頭ないですが、先ほどお伝えしたようにヒップホップを長くやっていたので、ヒップホップも発端はストリートですよね。ストリートへの愛というか、自分の入り口がいわゆる正統なファッションではなかったので、原点を守りたいっていう想いですかね。そこまでかっこいいものでもないし、深く考えてもないですが。何事もフレッシュなうちが一番面白いというか、ストリートブランドのアプローチや手法などが徐々に一般化されると、中身の部分は置いてけぼりになって、形骸化される。そうやって擦られ過ぎちゃうと、ただのミーハーや商売目的の人と本気でやっている人たちが一緒くたにされて、心中しちゃうのがもったいないし、カルチャーの発展を阻害していると思います。

―――特にメディアの人だから嫌でも目に入るからっていうのもありますよね。

阿部:確かにそれはあるかもしれないですね。

―――あらゆる方向からボール飛んでくると思いますが、たまに避けたくなったりしないんですか?

阿部:避けたくなることもあります(笑)。人に会うのは楽しいし、嬉しいんですが、平日の反動で週末は人に会わないようにコソコソしちゃいますね(笑)。

―――最後にライティングもそうだしリリックもそうだと思うんですけど、文字の力ってなんだと思いますか。

阿部:文字の力、難しいですね。回答になってないかもしれないですが、今の人って文章をちゃんと読まないじゃないですか。だから伝えるのってめちゃくちゃ難しいなっていつも思います。ちゃんと伝えるのにどうやれるかっていう。リリックを書いている時は小難しいほど良いって思っていましたが、自分の作品だから、自分で責任が取れますし。そういうラップが好きだったんです。ただその時は自分のメッセージの伝わらなさにもどかしさもあって。言いたいことがあっても伝わらないとあまり意味がないから、誰が読んでも根底のメッセージはブレないようにって考えていました。特に今はメディアという立場で書くことが多いので、文字の力を活かすために、いかにわかりやすく書くのかを意識していますね。

Photo : Ryutaro Izaki

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