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DAYZ ARCHIVES COLLECTION 2

DAYZで取り扱う商品をピックアップし、その商品について深堀していく「DAYZ ARCHIVES COLLECTION」。第2回は世界中の人々に愛されている「AIR FORCE 1」をピックアップ。2022年に40周年を迎えたAF1はどのようにして今の地位を確立することができたのか。AF1の歴史を辿りながら紐解いていく。

KING OF SNEAKERに君臨する「AIR FORCE 1」

2022年に40周年を迎えたエアフォース1だが、その勢いは現在もとどまることを知らない。2022年もLOUIS VUITTONやドレイクといった大物とのコラボを果たし、KINGの名を恣にした1年となった。実際、NYを拠点とする市場調査会社「NPD Group」の調査によると、AF1が2021年にアメリカで最も売れたスニーカーに輝いた。これは2020年に続く2年連続の受賞であり、エアフォース1は名実ともに世界一のスニーカーの座に君臨している。何もかも順風満帆にみえるエアフォース1だが、辿った道は楽な道ではない。実は、一度は生産終了に追い込まれ、存続すら危ぶまれることもあったのだ。そんな波瀾万丈な歴史を辿ってきたエアフォース1はなぜ世界一の座を勝ち取ることができたのか。歩んできた歴史とは一体どんなものだったのかを紐解いていこう。



伝説の始まり

1982年にバスケットボールシューズとして誕生した。当初は私たちが普段から見慣れているローカットモデルではなく、ハイカットモデルのみの展開だった。モーゼス・マローンやジョージ・ガービンなどのオリジナルシックスと呼ばれる6人のNBA選手によって着用された。NBAのスター選手をプロモーションに起用したことで、多くのバスケットボールファンからの支持を得たが、AIR SHIP(1984)やAIR JORDAN 1(1985)などのバスケットボールシューズが続々と登場。そして、後継種である「AIR FORCE 2」が発売されることとなり、エアフォース1は生産中止を余儀なくされてしまった。なぜ中止にする必要があるのかと思うかもしれないが、当時のNIKEはあくまでスポーツシーンで使用されるシューズの製造を行う会社であり、最新であることを売りにしているNIKEが新型の発売に伴い、旧型の生産を中止にするのは至極当然なことであった。こうして一度市場から姿を消すこととなった。



奇跡の復活


エアフォース1は生産終了となったもののストリート界隈での人気は高いままで、復活を望む声も多かった。特にその熱が大きかったのが東海岸のボルチモア地区。そこで立ち上がったのが、のちにその功績が讃えられ ”3アミーゴス” と呼ばれるようになるボルチモア地区にある3つのシューズショップ「チャーリー・ルドー・スポーツ」「ダウンタウン・ロッカールーム」「シンデレラ・シューズ」。彼らはエアフォース1がただのバスケットボールシューズとしてではなく、スニーカーとしてストリートの若者を虜にしていることに気付き、AF1の再販売をNIKEに直訴。そしてNIKEとの交渉の末、1カラーにつき1200足の販売を条件に復刻が決定した。当時はオンラインでの販売はもちろんなく、店頭のみの販売であったため、1200足という数はAF1の需要があるとはいえかなり無謀だったのではないだろうか。しかし、発売されるや否や、噂を聞きつけたユーザーがショップに殺到。1200足があっという間に完売した。その結果「Color of the Month」と呼ばれる、月毎に新しいカラーのAF1を発売するといったキャンペーンを実施し大成功を収めた。このムーブメントはボルチモアだけに留まらず、フィラデルフィアやニューヨークなどの東海岸中にまで広がり、カルト的な人気を博すこととなった。そして、1990年代からは正式にボルチモア以外でもエアフォース1が発売。今ではボルチモアは聖地としてファンから親しまれている。存続の危機を救った ”3アミーゴス” の功績を讃え、ボルチモアにはNIKEからの「DAMN RIGHT, YOU SAVED THE AIR FORCE 1」というメッセージが添えられたベンチもある。ボルチモアはエアフォース1を救った街として未来永劫語られることとなるだろう。ぜひみなさんもアメリカに行った際には、ボルチモアを訪れてみてはいかがだろうか。

画像引用元:baltimoresun.com

東海岸から世界へ


1980年代後半〜90年代前半まで東海岸を中心に社会問題となっていたクラック(コカイン)ブーム。そのクラックを売り捌き、富を得ていたハスラーたちの間ではエアフォース1を履くことが一種のステータスになっていた。そして、ちょうどこの頃、私たちが最も目にすることが多いであろうエアフォース1のオールホワイトが登場する。(正確には何年に発売されたかは不明だが、90年代前半〜中盤だと言われている)その後、ハスラーたちがラッパーへと転向しても真っ白のエアフォース1を履くことがステータスであることは変わらず、一度履いたら二度と履かないといった美学もこの頃生まれたもの。他にも歌詞で「Air Force One」の単語を使ったり、PVでも頻繁に着用された。そして遂に東海岸の枠を越え、全米中に広がることとなった。そのきっかけとなったのがセントルイスのラッパーNellyでした。彼はクルーと共に「Air Force Ones」という曲を発表しビルボードホット100で3位を獲得。ヒップホップはエアフォース1を全米中へと広めることに大きく貢献することとなった。それからもヒップホップとの深く結びつき、世界的ラッパーのJAY-ZやEMINEMがリリックで使用したり、各地の有名なラッパーとのコラボを果たすなど、世界中に認知されるようになった。その結果ニューヨークタイムズによると、2005年には1200万足のAF1が売れたと予測された。現在でもヒップホップとの結びつきは強く、ジュエリーやハイファッションに身を包む若いラッパーたちも、その足元に履いていることも珍しくない。実際、エイサップ・ロッキーは人気のなかったAF1のミッドカットをライブやイベントなどで着用し続けている。もちろん、ヒップホップだけでなく、今ではストリートブランドからラグジュアリーブランド、著名人などともコラボレーションを行ったりと様々なジャンルと深く結びついている。セレブや業界人の中にも多くのファンを持つエアフォース1。これほどKINGの王冠が似合うスニーカーはエアフォース1以外にはありえない。こうして今でも絶対的なアイコンとして君臨し続けており、それはこれからも揺ぐことはないだろう。


ここまでAF1がどのような歴史を辿ってきたかを紹介したが、次にDAYZで取り扱うAIR FORCE 1を紹介していく。

AIR FORCE 1 LOW “White”
THE王道のAF1。真っ白のAF1なくして、AF1は語れないと言っても過言ではない。オールホワイトというどんなファッションにも合わせることのできるこのスニーカーはスニーカーヘッズでなくとも持っておきたい1足。

AIR FORCE 1 LOW “Black”
シックな雰囲気を醸し出す1足。全体をブラックにまとめることでブーツ感覚で履くことも。王道すぎるのが嫌な方はオールブラックで大人っぽさを演出してみてはどうでしょうか。

AIR FORCE 1 “PANDA”
大人気のNIKE DUNK PANDAのカラーを落とし込んだAF1。黒×白という最強の組み合わせに合わないものなどない!定番のカラーリングでありながらもどこかAF1に落とし込むと新鮮さもある1足となっている。

WMNS AIR FORCE 1 “PHANTOM”
ラグジュアリーな印象のAF1。スウィッシュはパイソンとゴージャス感があるものの、全体はセイルカラーで仕上げることでヴィンテージ感も演出。女性の足元を輝かせる1足としてピッタリ!

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