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CIRCLE OF DAYZ vol.7 Narukiyo Yoshida

DAYZ」と結びつきの強い人物や「DAYZ」が心惹かれる人物についてじっくり深掘りしていく「CIRCLE OF DAYZ」。第7回は、渋谷の路地裏に店を構える居酒屋「なるきよ」の板前・吉田成清にインタビュー。 

——2003年にオープンした「なるきよ」は、今年で19年目。自分のお店を始める前は、どんなところで経験を積んでいたのでしょうか。

そりゃあ、いろんなところで勉強をしてましたよ。最終的には魚山亭という宮崎料理のお店に拾ってもらって。上京してしばらくは東京が嫌で、辛いし、不慣れだし。ずっと福岡に帰りたいって考えてたね。みんな〈Goro’s〉着けて〈VANSON〉着て、渋カジが流行っていた時代。デニムを腰穿きして、エンジニアブーツ履いて、バンダナ巻いてね。

——成清さんもそういう格好をしていたんですか?

僕は当時も今も、30’sや40’sのヴィンテージばっかりやね。ワークよりはスーツでタイドアップするスタイルが好きで、今でもネクタイだけはたくさん集めてる。洋服が大好きだし、洋服屋になりたいって気持ちがずっとあるから。ちょうど今も〈Peter’s〉で20’sっぽいシルエットの革ジャンを作ってて。僕に合うサイズのものってなかなかないから、もう自分で作っちゃえって。

——ファッションやカルチャーへの深い知識と愛は、お店からも伝わってきますね。使っている器や流れている音楽、料理を出す時の“間”とか。そういうすべての要素をカルチャー化させたのがこのお店っていう感じがして、そこがすごく渋谷っぽいなって。この場所を選んだのはなぜですか?

選んだっちゅうか、ここしか借りれんかったんよ。田舎もんやからやっぱり青山や骨董通りへの憧れがあって、そのあたりで良いところを見つけたんやけど、直前でダメになってしまって。そうしたら、知り合いのビルのオーナーが声をかけてくれてね。契約のためにわざわざ福岡から親父にも来てもらったんやけど、いざ行ったら「本当に借りるつもりだったんか」って。それでまた振り出しに戻っちゃった。店を始めるまでに、頑張ってお金を貯めたんよ。働いてた店の社長に相談したら給料をあげてもらえたんやけど、服ばっかり買っちゃってね(笑)。これじゃまずいって、今の嫁さんが給料を管理してくれて。そうしたら4年半くらいで形になったかな。

——すごいですね。

それでまずは、自分の店を始めたいってことを父ちゃんと母ちゃんに挨拶しなきゃと思ったんよ。だけど福岡までまっすぐ帰るのはなんだかなと思って、途中で大阪に寄って遊んじゃった(笑)。当時、梅田駅の近くに立ち飲み屋があって、そこが居心地よかったんよ。1人3000円くらいでおいしいもんを食べられる、その気軽さがいいなって。僕の理想はそこから生まれたかなあ。大吟醸をキュッと1杯飲ませて1500円、2000円とか。そういう、“夜のスタート”になるような店がよかったんよ。そこから大事な契約をしに行くのでも、クラブに行くのでも、ネエちゃんと遊ぶのでもいい。この場所から始まるシナリオを作りたいって考えた時に、やっぱりカウンターの店にするべきだなって。

——なるほど。「なるきよ」といえばこのカウンターですもんね。

そうそう。そうやって大阪でいい人たちと出会えた後に、急いで四国から九州へ向かって。漁場と畜産、農家さんのところにも行ったかな。いろんな業者さんに会ってね。最後に福岡の実家へ行ったら、親父が脳梗塞になっちゃって。当時ドラマの『Dr.コトー診療所』を見てたから、親父の様子がおかしい時に、これドラマで見たやつと一緒やって気づいて、すぐ病院に連れて行ったんよ。それで店どころじゃなくなっちゃったんやけど、親父には「絶対に後悔するから今すぐ東京にのぼれ」って言われてね。幸い脳の病気じゃなかったから、親父は今も元気にしてますよ。

——そして、無事に東京へ戻ってくるわけですね。

知り合いの不動産屋さんがたまたま今の場所を見つけてくれて、当時はまったく流行ってないエリアだったから安くしてくれてね。このへんは本当に誰もいなかったんよ。想像してた店よりちょっと広かったけど、なんかいいなと思って決めちゃった。それから店の施工に入ったら、いきなり保証金でガバッと取られちゃって。ショックやったね、4年半のお金が……って。本当は〈LLOYD LOOM〉の一枚板のカウンターを置きたかったんやけど、このスペースには入らんって言われちゃった。奥の席にある〈Cassina〉のCABと作ってもらったテーブル。あれはもう大好きだね。まあ、奇跡やないかなこの店は。いろんな人が来るけど喧嘩もないし、何かを壊されたりも少ないしね。渋谷で19年やれてるのは奇跡よ。

——お客さんたちにも愛されているのをすごく感じます。

世の中は、だんだんと食事がファッションになってきてるんやないかな。昔は雑誌の最後の方のページが星座占いだったけど、今は飯屋の情報を載せてるところも多いし。誰がどこに行ってるとか、どこの店が人気だとか、そういうことをみんなが気にする時代になってるね。うちも最初の頃は雑誌の取材が来てたけど、今はメディアもあんまり出とらん。僕が読みたいと思う雑誌がないけんね。

——だから、今回取材を受けてくれてとてもありがたいです。

ベベさん(「DAYZ」ディレクターの渡辺真史)は筋が通っとるから。うちはえこひいきする店って言われることもあるけど、そりゃあ仕方ないね。人間やけん。魚には背と腹があって、おいしさは計り知れん。背の方がおいしい時もあれば、腹の方が旨味があると思う時もあるもんね。それと一緒で、僕は仕方ないと思ってる。ただ、浮気はしてほしいね。いろんな店に行ってみて、その上で「やっぱりここがいい」と思ったら来てくれればいい。目当ての女の子と本気のデートってなったら、うちなんかよりもっとチャラチャラしたところに行った方がいいし(笑)。


——そういうスタイルだからこそ長く続いているのかもしれないですね。「なるきよ」の料理には成清さんの美意識が反映されているように感じます。味だけでなく、器や金額設定まで含めて。

それを相手に合わせて変えちゃうからいけないんやろうね。やっぱり、ベベさんたちが来たら「器がこれがいいかな」とか「こう盛ったらかっこいいかな」とかって考えちゃうし。それをあからさまにやっちゃうと隣のお客さんに嫌がられちゃうかもしれないし、バランスが難しいんよ。あとは、いろんなお客さんが来てくれるのは最高。いわゆる業界人みたいな人達の隣に、スーツ着たサラリーマンのお客さんが来てくれたりすると、店としてはうれしいね。

——それも渋谷らしさの一つですね。誰もが気取らずに東京のカルチャーを味わえる場所になってるというか。

いろんなお客さんが来てくれると、こっちも勉強になるんよ。僕はもう歳もとってきたし、次世代がどんどん出てきたらいいと思っとる。今日も取材に来てもらってありがたいけど、50近くのおじちゃんが出ていいのかなって気持ちもあって。ファッション関係の仕事に誘ってもらうのもうれしいけど、ずっと変わらず“飯屋”でおらんとなっていつも思っとるよ。

——ただおいしい料理を作るだけでなく、飾り方や雰囲気の作り方など、成清さんの発想力が唯一無二だと感じます。

たしかに、そういう部分まで考えたり、そこにお金をかける人はあんまりおらんのかもね。数年前の〈GYAKUSOU〉のショーの時、運動会をイメージして、選手の控え室にコスモス畑を作って、「やっぱり運動会はこれやろ」って落ち葉をばら撒いて。かっこよかったなあ。そういうのを考えるのが大好きなんよ。

——いろんなカルチャーを知ってるからこそ、豊かな発想が生まれるのではないでしょうか。

違うたい。僕は、スタイルを重んじるロマンなんよ。

——なるほど、なんだか腑に落ちました。ロマンチストっていい表現ですね。

僕のまわりにはロマンチストがいっぱいおるとよ。みんな優しいし、いっぱい助けてくれる。僕は商売するにあたって戦略を考えたりしたことがないけんね。今だったら、SNSとかもやった方がいいんやろうけど、不器用なので。

——たしかにホームページやSNSは一切ありませんね。

そんなことをしなくても、人は自然と来てくれるからね。今は昼に弁当を販売するようになって、近所の姉さんとかも来てくれるようになったから、それがすごくうれしい。そういう意味では、コロナがないと出会えなかったお客さんもたくさんおるなって思うよ。うちで働いてる若い衆もみんな前向きにやってくれてるし、前よりパワーがついたように感じる。

——それはうれしい話ですね。

——今後、新たにやりたいことは何かありますか?

いっぱいあるよ。やっぱり、今でも自分の洋服を作ってみたいと思うし。これは小学生の頃からずっと考えてたんやけど、どこか学校の近くでサンドイッチ屋とかパーラーなるきよをやってみたいね。サンドイッチって何を挟んでも自由だし、好きな名前をつけられるから。例えばほうれん草を使ったサンドなら、名前にスピナッチって入ってるだけでなんかかっこいいしね。中学生とかが「あそこのスピナッチ食べた?」って面白がってくれそうな気がするんよ(笑)。そういうのを嫁と二人でやりたいなあ。あとは、最終的には喫茶店をやりたいかな。僕の7インチレコードとジュークボックスを置いてね。その頃にはみんな爺さんだろうから、その場所で懐かしい話やなんかできれば最高やないかな。

Text : Momoka Oba
Photo : Takao Iwasawa

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