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CIRCLE OF DAYZ vol.9 B+ Part 2

「DAYZ」と結びつきの強い人物や「DAYZ」が心惹かれる人物についてじっくり深掘りしていく「CIRCLE OF DAYZ」。第9回は先日のトランクホテルでの写真展及び、APPLEBUMとのコラボレーションも記憶に新しい、写真家のB+にインタビュー。後半は盟友のJ Dillaやモノづくりについて。

Bebe:J Dillaの葬儀のことについてお伺いしたいと思っていました。その時に関連する写真を見たのですが、どのように彼の死を知ったんですか。

B+:J Dillaが亡くなった時はインターネットが完全な状態ではなく、誰かが死んだりすると、電話が引っ切り無しに来たんだよね。この雑誌や新聞の写真が必要なんだとかいろいろとね。あの頃はどこも独占記事や独占取材、出ていない写真が重宝された。だから印刷機は持っていたし、写真を印刷してスキャンし送る。とにかく多くの時間を費やした。彼がロサンゼルスに来た理由の1つはいろいろと会話したからなんだ。「Detroitなんかやめて、ロサンゼルスに来なよ、みんなDillaが好きだよ」って。だから彼が亡くなった時、悲しんだり追悼している時間は無くて、暗い部屋で音楽をかけてDillaの写真を印刷してたんだ。32歳だったんだよ。早すぎでしょ。葬儀の前夜に葬儀場に行くとDillaのお母さんと会ったんだ。Dillaから僕たちの話を聞いていて、ずっとお礼を言いたかったって。彼のお墓はForest Lawnメモリアルパークの中で、そこはMichael Jacksonが葬られている場所でもあるんだけれど、いざ葬儀が始まるとDillaという男が死んだのが信じられなくてね。だから僕らは葬儀の後すぐに車に戻ったんだ。そして丘の端に行ったんだ。僕が歩いていこうとすると、飛行機が空に見えてね。ロサンゼルスではバレンタインデーに飛行機で空にハートを描いたりするんだ。僕は誰にも何も言わず走って車に戻って、パノラマのカメラが車にあったからね。その瞬間が撮れたんだ。とても儚いものだからね。その後に、その写真を見せるとみんなにニセモノって言われるんだけどね。

Bebe:車中にカメラがあったというのも幸運でしたね。

B+:僕は使命の1つ、写真家としての責任の一つでもあるから、常にカメラは持っているんだ。不思議なんだけど、持っていない時に後悔することがすごく多くて。いつも何か理由があって、その瞬間があるんだよね。常に写真を作りたいかどうかを決めさせる、その瞬間がそこにあるんだ。もしカメラがなければ、その決断すらできない。何かに駆り立てられたような人っているでしょう。森山大道や荒木経惟は、そんな何かに駆り立てられたような人たちだと思うんだ。けれども、彼らは絶えず撮り続けている。最も日常のありふれたものでさえからも、彼らはどうやってか、何かを創り出している。僕はその瞬間をカメラで邪魔したくないと、思ってしまう時もある。感謝もするし、その瞬間を必ず覚えている。でもカメラがなければ、僕は何も出来ない。後悔してため息をつくんだ。

 

Muneo:とてもBrianさんらしいですね。では、『Ghost Notes : Music of the Unplayed』についてなんですが、僕は映画を観たような気持ちになりました。本を作る際、ストーリーなど考えたりされたんですか?

B+:本当にちゃんと読んで知っていくと、深いところまで行ける。最後にたどり着いた時に、ストーリーの答えよりも疑問の方が増えているんだよね。もう一回読み返すほど、惹きつけることを目指しているんだ。最後に何かあるってわけでなくて、もっとインスピレーション的な何か。もちろん制作にはもの凄く時間をかけたよ。最初のバージョンの本では500ページのイメージ画を作ったんだ。それら全てを僕のスタジオの中のあちこちにぶら下げて、そこで寝て、夢を見て、さらにもっと時間を使っていく。だいたい4年かかった。始まっても、終わりに近づいて行かない感じなんだ。本のアイデアってどこに居ようと、ただ夢中にさせてくれるよね。何かをただ伝えているんじゃないんだ。何か作り出せるものでないと。

Bebe:日本人の写真家では、影響を受けた方はいらっしゃいますか?

B+:もちろん沢山いるよ。様々なことを荒木経惟や森山大道から学んだね。それから、ホンマタカシも好きだ。彼らは多くのモノを持っている。僕は日本の60年代、70年代、80年代の写真集の文化に本当に憧れているんだよ。とても力強くて民主的なもの。皆が写真集を持つべきだというアイデアって、何かとても美しいモノがあるんだよね。写真と関わらない人が写真を通して文化を理解するやり方なんだ。これはとてもユニークでめずらしいことだよ。それに印刷の質が本当に高い。僕は最初に日本に来たときに神保町に向かったんだ。日本の写真集だけを買うためではなく、William Klein、Robert Frankのオリジナルの写真が買えるんだ。本がそこにあってもアメリカではなかなか難しい。僕らが話ていたヒップホップに関しての文化も同じ。90年代の独立したヒップホップの多くが、日本からのお金で支えられていたんだ。

Bebe:そうですね。日本人って世界中の良い文化を見つけるのに優れていると思うんです。そんなに上手な英語を話さなくても、とにかく行って敬意を見せて、その文化を持ち帰り、広める。とくに90年代はそうだったと思いますね。Brianさんは今回の来日はしばらくお預けになっていたんですか。ここ東京は何か違った感じを受けましたか? 

B+:4年ぶりだね。僕はいつも新しいコトを発見しているんだよ。今日だって、立ち食い寿司に行って来たしね。

Bebe:古いスタイルなんだけど、新しいスタイルですよね(笑)。旅をされる時には、いつも何かを発見してるんですね。

B+:でもやっぱりどこの街も正常に戻るのに苦労しているみたいだね。ヨーロッパもアメリカも同じ。とにかく僕らは過去三年から今にかけて、様々な人を失っている。多くの素晴らしい人々をね。大半はコロナ感染によるもので、そ医療機関システムが感染現象によって完全に詰まって、コロナの巻き添え被害があったり。それから、人によっては自分の体調に関して感染を恐れて、医者に行かなかったりして、生き残れたはずなのに結局亡くなってしまったりして。多くのミュージシャン達も亡くなってしまった。ミュージシャンで亡くなった人のリストを見ると、悲しいばかりだね。

Bebe:これは大惨事で、まだ継続していますからね。僕らはこれに、どう対応していったらいいのか分かっていない。そんな中、Brianさんのように東京に来てくださる人がいて、こうやって一緒に過ごせるって、僕らにとっては大きな意味があります。最近のヒップホップシーンについて、いかがでしょうか?僕にとって近ごろのヒップホップは商業的だなと感じていて。お金を作るような事に関して、何か間違ったものが見えるわけでもないし、健全だとも思うんですけど、アンダーグラウンドなカルチャーから誰でもアクセスできるものに変わり、少し寂しいなと思いまして。

B+:でも、これっていつの時代もあったことだよね。みんなが金儲け目当てのうさんくさい商業的な音楽に対立して、ラジオでPete RocやCL Smoothの音楽をかけてくれればいいのにって言っていたよ。同じコトだよね。事実、音楽の道はある面においては妨げられるモノ。でも他の面に関しては、民主的で新しい音楽が作られるようになってる。楽観的に考えれば、僕はこれは大事だと感じているよ。今ね、昔ながらの文化が乗っ取られちゃってる感じがするんだよね。De La SoulやJurassic 5、KRS-Oneなど彼らは自身のラップの上からさらにラップしたりしない。彼らは楽器にかぶせてラップするんだ。今ではさ、ラッパーが自分のラップしてるモノの上に、さらに自分でラップしちゃうのが当たり前になってて、それが文化になっちゃってるからね。

Bebe:最後に日本の若者に何かメッセージを頂けますか?

B+:僕が常に伝えているのは、"Live it, breathe it, be it."。 

Bebe:とてもB+さん、そのモノでもありますね。

B+:この考えが好きなんだよね。人生はあっという間だったりする。真剣にやれ、マジで行けとね。ナイキみたいなのじゃないよ(笑)。キリスト教は二つの流儀があるんだけれど、神のようになりたい人々と神に従う人。神のようになりたい人は奇跡がただ欲しいだけ。神に従う人は、神という名から離れて、彼らのために何かを作りたい人。ある意味でヒップホップはテクノロジーであり、アフリカに実在していた一連のしきたりの描写法なんだ。僕らは移動し、考え、遊び、行いを大事にしている。ヒップホップに関しても技術的面、スピリチュアルな面がある。人は何かに出会い、自分自身を強調してしまう。自分自身を解放させる方法がこの世にはあるんだから。つまらないもの、檻や罠などから自分を自由にする方法としてヒップホップはあると思うね。

Special Thanks to Hiro

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