KNOCK ON THE DOOR vol.2 'SKOLOCT'
2020.12.20 #ART #COLUMN #INTERVIEW
1990年代に大きなムーブメントを起こしたデザインチーム〈NGAP〉の中野毅が手がける〈SKOLOCT〉のアートショー「SKOLOCT RISING」が、12月20日(日)から〈DAYZ〉で行われる。その開催にあたり、都内にある彼のアトリエを訪れ、裏原カルチャー最盛期のエピソードや物づくりへの姿勢についてじっくり話を聞いた。
自由を求めた表現の矛先。
今や世界中から注目を集めている、東京のカルチャーの中心地・原宿。国内外の多くの人がその場所を訪れ、セレブリティやアーティスト、数々のクリエーターが、東京・原宿発のブランドを身につけている姿を目にすることや、それらのブランドと海外ブランドによるコラボレーションは、もう珍しいことではない。原宿で誕生したブランドの代表として〈A BATHING APE〉や〈UNDERCOVER〉、〈NEIGHBORHOOD〉、〈WTAPS〉などが挙げられるが、これらのブランドやそのまわりを取り巻く人々が作り上げた絶対的存在のムーブメントとして、“裏原カルチャー”が根底を支えている。
1990年代に大きな盛り上がりを見せたこのムーブメントは、前述の代表的ブランドやその前身となるものが誕生するきっかけとなり、それによって原宿には人気ショップが軒を連ね、人が集い、クリエイティブなエネルギーが生まれた。また、数々のブランドが盛り上がっていくのに伴い、それぞれの場所や空間を作る人、それを彩るアーティストもカルチャーの担い手として肩を並べていくことになる。〈SKOLOCT〉を手がける中野毅は、まさにその中心となる人物だろう。塗装集団〈NGAP〉として歩みを進めた中野氏は、〈A BATHING APE〉の前身の店にあたる〈NOWHERE〉をはじめ、数多くのショップの塗装や建築を担当した、当時のカルチャームーブメントにおいて必要不可欠な存在だ。
「俺は、今も昔もアーティストとしてやってきたつもりです。でも〈NGAP〉の場合はどうしても“建築”という枠があって、洋服を作ったりしてもワークウェアにせざるをえなかったりして。そういうしがらみがあったので、途中で『もうやめた』ってなりましたね。もっとアートに近いことをやりたかったし、より制約がない自由なフィールドに移りたかったんです。それで〈SKOLOCT〉としてキャラクターを描きはじめました。〈NGAP〉の頃からずっと頭の中にビジョンはあったので、今こうして〈SKOLOCT〉としてやっていることは、当時から見えていたというか。今みたいなことをやり続けてるだろうなって、昔からなんとなくわかってたんです」。
自分のやりたいことに忠実であること。常にクリエイティブでいるために大事な信念ともいえるその純粋なエネルギーは、当時の“裏原カルチャー”に漂っていた雰囲気そのものだと中野氏は話す。
「あのムーブメントの渦中にいた奴らは、当時みんな20歳くらいだったんですよ。文化服装学院の学生だったり、学校を卒業するかしないかくらいの年齢の人が集まってたんで、必然的に友達が多かったですね。その中にたまたまジョニオ(高橋盾)やNIGO®っていうデザイナー、ムラジュン(村上淳)ってスケーターがいたんです。みんなすごく純粋で、好きなことを本気でやっている人たちで。だから最初は人数もわりと少なくて、凄くシンプルな集まりだったというか。でも、やっぱりお金が動くにつれて、人って集まってくるじゃないですか。だからそれに釣られた汚い野郎が集まってきたりして。まあ、良いとは思うんですけどね。それでカルチャーが大きくなって、現に世界中が見てくれているわけだから。今でも、海外の色々な人種の人が俺らのことを探しにくるんですよ。面白いなって思いますね」。
原動力を支える変わらない想い。
およそ30年以上にわたり、原宿や渋谷という街の変貌を、歴史を、カルチャーを、アーティストとして実際に体感してきた中野氏。今では都市開発による街の表層部分の著しい変化に加え、都市を覆う雰囲気や価値観、カルチャー自体も深層部分で変わり続けている。その渦中に身を置き続けてきたからこそ感じることがあり、中野氏の目には2つの異なる事実が浮かぶ。
「30年前とかは別に“ヤバい”って感じるものを作らなくても売れた感じがするけど、今はその“ヤバい”ってラインを超えるようなものを作る、もしくはやらないと、のし上がれない感じがしますね。逆に、変わらないところだと、例えばうちの店にも10代、20代の子がけっこう来るんですけど、みんなの感覚的な部分はそこまで変わらないのかなって思います。さっきも話した好きなものに対する純粋なエネルギーの部分です。だから、若い世代の感覚は俺も同じように感じたいし、そういった価値観を受け入れるのが実は好きなんです。やっぱり時代は動くじゃないですか。そこが“旬”なんで。その部分に俺もいたいと思うし、極端にいえばそこから盗んでいる可能性もありますよね。“ヤバい”って思って、逆に食いついていることもある。俺が最初に自分は変わってないと言ったのはこういう部分のことです。昔の自分が好きなものに対して純粋だったように、今でもその感覚や気持ちは変わってないですね」。
自分が良いと思う感覚に対して昔も今も変わることなくピュアでいる中野氏。その姿勢が彼のアーティストとしての純度を保ち、アートに触れる人々を惹き込み、カルチャーの歴史を作り続ける。
類似点から生まれたアートショー「SKOLOCT RISING」。
時間の流れとともに移り変わってきた東京カルチャーの発信地である渋谷と原宿は、アップダウンを繰り返しながら歴史を築き上げてきた。その中でも特に、近年の渋谷は新しいランドマーク的スポットが街に活気をもたらし、文化的にも次のフェーズに進もうとしている。そのひとつとしてこの夏に誕生した〈MIYASHITA PARK〉内に店を構える〈DAYZ〉も、東京カルチャーをベースに、世界へ向けて時代の流れを汲み取りながら発信しているスポットだ。そんな〈DAYZ〉の取り組みやビジョンにリンクする形で、常に“今”の中でクリエイションを続ける中野氏による〈SKOLOCT〉のアートショー「SKOLOCT RISING」が開催される。
あくまでも、どう作品を売るのかということや、どのようにしたら人に気に入ってもらえるのかということではなく、アップデートした今の自分自身を投影した作品を作ることにプライオリティを見出している中野氏。ものを作ることに全集中させ、見たことないものを生み出したい気持ちが強いと話すが、「デザイナーとかアーティストって本来そうあるべきでしょ。そのスタンスじゃないと“アート”作品は作れないと思う。でも、時代はまたそういう本来あるべき風向きになってきてますよね。それがけっこう嬉しいんです。言葉じゃなくて、目に見えないところってあるじゃないですか? なんていうか、嘘じゃない部分。そういうところが今までの自分の成功につながっていると思うんです。僕はそういう風に“アート”というものに正直にやってきたので、これからも変わらずにずっとやっていきたいかな」。
PROFILE
中野 毅 (なかの・つよし)
1990 年代から日本のストリートカルチャーを牽引してきた一人。 2007 年に立ち上げた自身のブランド「スコロクト(SKOLOCT)」 に加え、「ヒステリック グラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」「ステューシー(STUSSY)」「アンダーカバー(UNDERCOVER)」 「タカヒロミヤシタ ザ ソロイスト (TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.)」「ヴィローン (VLONE)」「オールドパーク(OLD PARK)」などのファッションブランドとのコラボレーションによる個展やプロダクト製作を通 じて国内外で精力的に活動。2018 年にはアマゾンファッションウィーク「Amazon Fashion “AT TOKYO”」で個展を開催し好評を博す。
Interview & Text : Hiromu Sasaki
Photo : Kae Homma
Edit : Momoka Oba
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