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THE STORY OF beatDAYZ:Katoman

カルチャーを愛し、東京を愛する二人の男によるラジオプログラム"beatDAYZ"。東京にまつわるディープなカルチャーを紹介する同番組に〈BEDWIN & THE HEARTBREAKERS〉ディレクター渡辺真史と共に出演する、渋谷道玄坂の〈Beat Cafe〉店主カトマンに話を聞く。

ただのおっさん二人から始めたい

——〈Beat Cafe〉以前はどんなことをされていたんですか?

子供の頃からとにかく音楽が好きだったんだけど、大学の時には友人がDJをやってた某FMラジオ局のカレッジチャート番組の制作をサポートをしたり、フリーペーパーやファンZINEを作ったり、ライブハウスやクラブもいっぱい行ってたね。大学でサークルを立ち上げて、自分たちでライブやクラブイベントの企画をしたりもしてた。それが俺が22、23歳の時だから1990年代頭くらい。その頃、〈Pop Biz〉っていうドイツ系の音楽ディストリビューターにバイトから入って正社員になった。そこを辞めた後は西新宿にある〈NAT RECORDS〉ってレコード屋さんに25歳の時に入った。そこを一回辞めて、高円寺の〈BASE〉ってレコード屋で働いたり、そしてまた〈NAT RECORDS〉に戻ったりでレコード屋で働いた期間は長かったね。あと自分のレーベルを立ち上げて、海外のバンドを呼んでツアーさせてってことを27歳ぐらいからやってたよ。その流れでSteve Aokiのレーベル〈Dimmak〉の日本支部をやったり。音楽ライターをやったりもしてたね。


——個人でやっていくのは、めちゃめちゃキツかったんじゃないんですか?

もちろん。でも、自分と自分たちの理想郷作りたかったんだよね。特にディストリビューターやレコード屋で働いてた時、自分が紹介して盛り上げてたジャンルやアーティストは、日本、海外問わず扱ってた人があまりいなかったから、自分が頑張って良さを伝えたら周りの人たちも盛り上がる瞬間を目の当たりにできたんだよね。それから自分のレーベル〈Dotlinecircle〉を立ち上げてからは、音源をリリースしたらツアーを絶対セットでやるってプロモーションも含めてオールインワンな感じ。CDとツアーの売り上げを軍資金にして回しながら、ブッキングのヘルプも含めて50〜60組の海外アーティストのライブに関わってきたかな、一人でね(笑)。もちろん周りの人たちやライブハウスのサポートありきなんだけど。いろんな人と仲良くなって繋がりができてきた。

——カトマンさんのモチベーション、音楽の世界に引き込まれた理由は?

子供の頃から自分の好きなことを人に伝えるのが好きだったからかな。自分にとってのモチベーションはそれだけで良かった。小学校の時に『みんな新聞』って名前の新聞を作って教室の壁に貼ったり、そこで自分の好きなマンガ、テレビとか曲を紹介したりね。黒板にKISSのロゴ書いたりとか、ずっと無意識にやってたよね。それがベースになってるかな。音楽は自分だけで楽しむって感覚がなくて、隣の人に教えて「一緒に盛り上がろうぜ」って意識が昔からあった。俺がレコード屋でやってたってことって、まだ日本でほぼ知られていないカッコ良いバンドを紹介したいからオーダーして売るって作業だった。「これすげぇ音源だから30枚売っちゃおう」みたいなね。だから、結局は音楽が好き過ぎちゃって、すごく良いものを0から発見する喜びに目覚めちゃってね。後々、海外の仲間たちはそういうことを覚えててくれて、「お前が日本からの最初のオーダーだったよ」みたいなね。そういう仲間が多い。そいつらも今すごくポピュラーになってるから、面白いよね。

——〈Beat Cafe〉にはいつから関わるようになったんですか?

2006年から〈Beat Cafe〉も手伝うような形で入った。その頃は〈NISENNENMONDAI(にせんねんもんだい)〉のマネージメント的な事をやっていたから、海外ツアーも並行してやってたんだよ。コンスタントにヨーロッパやアメリカへツアーで行けるようになって、東京では〈Beat Cafe〉で働きながら、何ヶ月か海外ツアーに出て、毎日いろんな国を行き来するような生活をしてた。自分が結成当初からレーベル、ブッキングで関わってきた海外バンドたち、例えば、〈BATTLES〉ってバンドがイギリスの〈Warp Records〉と、〈THE ALBUM LEAF〉が〈Sub Pop〉と契約したりと海外の大きいレーベルと契約するようになったりで、自分一人のキャパで戦うのは難しくなってね。いきなり日本の代理店やプロモーターが出てきて、あなたのお役御免みたいな感じになって、「いや俺がここまでやったのに」みたいな(笑)。ちょっと燃え尽き症候群になって、しばらく日本でのレーベル、ブッキング活動はいいかなって思っていた時、〈Beat Cafe〉は三人ぐらいでやっていて、2009年、前の〈Beat Cafe〉の下の階を借りてecho shibuyaっていう多目的パーティースペースをオープンした。ツアーもやってたけど、より〈Beat Cafe〉で働くようになっていった感じかな。

——今では、〈Beat Cafe〉=カトマンさんってイメージになってますよね。

みんな誤解してるけど、自分が始めたわけじゃなくて、外からそういう風に見えちゃうポジションになっちゃっただけ。オープンした時、人を集めるために月曜日メタルで、木曜日80年代みたいな感じでイベントやりましょうかっていう話の流れで、鍵を渡されて。それが始まり(笑)。バーテンダーなんてやったことなかったんだけど、やれるでしょって言われて(笑)。最初のうちはカクテルのレシピを見ながら作ったりしてたんだけど、忙しくなってからは全部取っ払って。500円でメニューなしでサービスなし。その代わりフランクに来ていいよ、みたいなスタイルになってきた。

——知らないお客さんには、たまに怖い時ありますよね。


普通にしてるだけだけど、あからさまに失礼な感じの人たちがいるから。基本的にはフラットにしたいだけ。店に入ってドリンクのオーダーしない輩とかがいるから、そういうのがない空間にしたいんだよね。外国人の比率が70〜80%くらいいるお店だから、基本的にお酒を飲んで楽しくできる場所にしたい。だけど治安が悪くなって、女の子を見たらすぐナンパみたいな。ビジネス的にはそっちのほうがいいのかもだけど、個人的には見たくないよね。いい常連が離れたりとかもあるし、バランスが難しいね。

——本当の音楽好きにとって、〈Beat Cafe〉が根付いていったわけじゃないですか。渋谷を代表する、カルチャーのあるバーだと思うんです。やっぱりそれは、カトマンさんの功績というか、昔からの活動の積み重ねがあったからこそですよね。

あまり打算はなくて、海外へ行っては色んな人と仲良くなってるから。日本に遊びに来てよって話してたら、本当に海外のアーティストが来たってだけだからね。東京にカトマンってやつがいるからって友達が友達を呼んでどんどん訪ねてくる。それでキャパオーバー(笑)。

——最近はどんな感じですか?

ここ一年はコロナで、もうやばいよね。


——それが契機となって、beatDAYZを始めようってなったんですよね。

それが1番の成果かもしれないね。ベベ(渡辺真史)が酒を飲みに来て、ふとラジオとかやりたいね? って話になって。ラジオに対する熱い思いをベベに話してたら、本当にやることになった。

——どういうアイディアから始まったんですか?

最初は、ベベが〈Beat Cafe〉で金曜日に必ずレギュラーで来る人、それで自分がバーテンで、いつもと変わらず話をしていくってシチュエーション。〈BEDWIN & THE HEARTBREAKERS〉の渡辺です。とか、〈Beat Cafe〉のカトマンですみたいな説明をしすぎない方がいいなと思った。これから起こり付随すること、例えばbeatDAYZのTシャツ作ったりとかプレイリスト出したりとか。そういうのでみんなに「こういう人なんだ」って知ってもらえればいい。ただのおっさん二人から始めたい。ラジオってやっぱり「あ、音楽いいな」って思ったら次も聞くよね? 二人が知らないアイドルをここに呼んでも、意味がない。呼びたい人たちはいっぱいいるけどね。でも、50のおっさんがやれることをやっぱり最初はやらないとダメかなって。

——ここまでの放送やってみて、いかがですか?

めちゃくちゃ楽しいよ。楽しいバイブスが出たから、まず一歩目。細かい反省はいっぱいあるけどね。だから、細かく神経質に聞いてもらう番組ではないって言いたいね。保険をかけるわけじゃないけど、〈Beat Cafe〉に来た、あの感じを味わってもらいたい。だから薄くトークのバックに曲が流れていたり。それがいいのかなって。

——ここに来たくても来れない人、沢山いますもんね。

来た人が肌感で分かるから〈Beat Cafe〉は。ちょっと違うかもって帰る人もたくさんいるし、行きたいんですけどって言われても困っちゃうけどね(笑)。

〈DAYZ〉
BEATdayz TEE
5,500yen(TAX In)
WHITE
OLIVE

Interview : Yu Yamaki
Edit & Text : Shu Nissen
Photo : Ryutaro Izaki

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